走るきっかけ

  走ることは好きだったし、長距離走ることは別段苦にはならないが、 ただ、練習の一貫で走ることはあっても、
  貴重な時間をさいてレースに出るなんて考えもしなかった。
  登山をメインにしていたころ国体の山岳部門に出場したが、その時のメンバーだったのが宮崎市役所のHさん。
  彼は当時30台半ばで抜群に体力があり、少々スタミナを自負していた私の天狗の鼻をへし折った。
  聞くところによるとマラソンをやっており、別府大分マラソンにも出たことがあるらしい。
  では私もマラソンなるものをやってみようか?そろそろ30才が近くなるし体力の衰えも心配!
  郷ひろみもマラソンを完走するらしいが、たぶん問題ないだろうとたかをくくっていた。
  平成元年の指宿菜の花マラソンに参加するために10月くらいから練習を始め、
  まずは、地元の10kとハーフのレースに参加。練習方法は知らず、適当に、 シューズもスーパーで買ったやつ
  パンツはガラパンみたいなやつ。時計は普通のアナログでタイムは計測できない。でも、なんとか完走できた。
  次は1月第1週に初マラソンだ。
  丁度「ヒロヒト」が亡くなり、全て自粛ムードの中開催されるかどうか危うかった当大会も開催される運びとなり
  意気揚々と指宿へ乗り込み、同行の仲間と明日は頑張るぞーっとビールを飲んでいた。
  翌日の結果は地獄だった。15キロまで突っ走り20キロ手前から足が痛み出し歩き出し、歩いては走り、
  歩いては走りの繰り返し。とうとう35キロから走れなくなった。
  体力には自信があったが、40キロでバニーガールの格好をしたお姉さんに抜かれたときにはさすがに情けなかった。
  4時間くらいでゴールした初マラソンだった。 このとき誓った。「次は歩かないで完走しよう」。「真剣に練習しよう」。

  これが、私のマラソンへのめり込むきっかけでした



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