遠く苦しかった <福岡国際への道> ふたたび (2003年12月)


  先日の防府で再び福岡国際の出場資格を取得することができたが、ゴールした後、家内に結果の電話を・・何故か涙が出てきてしょうがなかった。走ることで涙を流すのは何年ぶりだろうか。
  はじめて福岡国際の資格をとったのが35歳の東京国際のレース。あのときはゴールしながら少し涙ぐんだ記憶があるが、もう遠い昔の想い出となってしまった。しかし、今回はもっと泣いてしまった。それだけ今回のレースにかける思い入れが強かったのだろうか・・

<逃げていた自分>
  36歳にはじめて福岡国際に出場し40歳まで連続して走ったことに満足しており、福岡への最後の挑戦のはずだった東京国際(2002年)では果敢に攻めて撃沈したが自分なりに評価し満足もしていた。しかし、そのレースにかける同じ思いのランナーは他にもいたのだ。北海道の離島に住むその友人はこのレースで見事福岡の資格を延長したのである。北国の真冬の絶悪な環境下で練習し続け、卓越した集中力と冷静なレース運びにより結果を残していた。彼の話を聞いて自己満足に酔いしれていた己に嫌気がさし、また逃げている自分にようやく目が覚めた気がしていた。

<故障の日々>
  もう一度挑戦しようと誓い、41歳になった夏から本格的に練習を再開した。夏合宿でもついていけなくても、空元気で虚勢を張っていたがとても不安な毎日だった。その不安に追い打ちをかけたのが夏の終わりの左足肉離れだった。軽い症状だったので、適当にごまかして練習を続けていたが、あるときついに走れなくなるほど故障がひどくなった。しかし、冬の防府までは時間があるし「どうにかなるさ」とたかをくくっていた。が、完全に治らないままに練習を続けた結果、41歳の防府はついに走ることを断念せざるおえなくなった。

<弱い自分を助けてくれた>
  正月から無理して練習を再開し3月のびわ湖に全てをかけることにした。びわ湖の1週間前の延岡西日本は調整で15kまで走ったが、きついなりにもマラソンペースで走れたことに気を良くしていると、びわ湖の3日前に膝に激痛が・・なんでこんなにも故障が続くのだろう!奇跡的な回復を祈りびわ湖に行き1次コールまでするが、現実はそんなに甘いものではなく棄権するしかなかった。皆が元気良くスタートした姿を見て自暴自棄になっていた自分を励ましてくれたのが、とある少女であった。彼女は先天性の肢体障害を持っている。友人である彼女の父と3人でびわ湖の応援をしたが、車椅子に乗って一生懸命に応援する姿に心を打たれた。なぜ、こんなにも健康な人の応援を一生懸命できるのだろうかと。一方で自分の心が醜いことにいやけがさし、彼女の真摯な姿を見ながら、もう一度頑張ることを心に決めた。

<ようやく練習が>
  本格的な練習は6月以降からはじめることに決め大まかな年間スケジュールをたてた。
    スピード養成  6〜7月 身体づくり  8月 マラソン練習  9月〜11月
    マラソン大会  12月 防府

  きつい練習に慣れていない身体に夏場の合宿は厳しく、何回も弱音を吐きそうになりながらもなんとか厳しい夏場を乗り切った。また、家内も最後の挑戦だということで理解してくれ、夏休みにどこにも連れていかない旦那に愚痴も言わず本当にありがたかった。10月になりレースもかなり入れるが、思うようなタイムが出ずに焦ってくる。しかし、ここでの小さなレースに照準を合わせたら最終目的の防府で十分な結果が残せないのは分かりきっているので、焦る自分に何回も言い聞かせ予定に近い練習を淡々とこなしようやく大会当日を迎えた。

<レースの組立>
  マラソンは練習で培った以上の結果は出ないものの、いかにレースに集中できるかでタイムは大きく変わってくると自分は思っている。一方、自分でレースを作れる程の力もないのも判っているので、八割はレースの流れに任せているが、肝心なのは残りの二割だ!ここでいかに集中するかどうかで福岡への資格がとれるかどうか決まってくる。それが30k以降の走りだと思う。

<レース当日>
  レースは中間点までは20名くらいの大集団で進んだ。ともかく前に出ず徹底して集団の中に待機して力を温存する予定だった。今まで調子が良いときは25k地点が早くやってくるような感じだが、今回はそのイメージどおりのレースとなり、25k以降少しペースが上がったのも気が付かなかった。30k手前で5人に減った集団のペースが落ちたので先頭で引っ張るが長く続かない。そうしていると若い選手が前に出てぐんぐんスピードを上げ、他の選手はだれも対応できずどんどん離れて行く。自分を含めた4人はペースをゆっくり落しながら35kを2時間02秒で通過したがそこからが向かい風となる。思い切って前に出て気合いを数回発し、後続の選手を連れひた走り、前の選手を40k手前でとらえた。以前の福岡の資格の26分ならここからが厳しいところだが、1分緩和されたことで心に余裕があり、ついてくる選手を励ましながらゴールへ向い、1年10ヶ月振りの挑戦が終わった。
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