2000黒部レポート  黒部源流 2000.7.18〜7.22

昨年の夏にJA11さん、釣吉さん、魚留の3名での黒部源流へ釣りに行きました。
今回、JA11さんがその思い出を寄稿していただきましたので数回に分けて紹介します。

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2000黒部レポート NO-1


7月18日(火)

午後8時30分、大阪(伊丹)空港到着。魚留さん、釣吉さんが迎えに来てくれる。魚留さんとは2週間ぶりの再会である。荷物を魚留さんの新車「フォレスター」に積み込み、とりあえず夕食をとるためレストランを探し国道171号線を北上した。
午後9時30分、食事をすませいよいよ富山県へ向けて出発。茨木インターから富山県・立山インターまでは約430q、目的地の有峰林道入口には午前2時頃の到着予定である。3人交代で運転することとし、京都を過ぎるあたりまでは交通量も多いため、大阪在住の魚留さんが担当。米原を過ぎ、北陸自動車道に入ったあたりで2番手、釣吉さんにバトンタッチする。魚留さんは後方座席で寝袋に入って爆睡状態。私は3番手となったため眠ることもできず、釣吉さんが睡魔に襲われないよう助手席で話し相手をすることになった。名神自動車道は、滋賀県の米原から北陸自動車道に分岐する。大学4年のときに北海道に向けてオートバイを走らせて以来の走行である。まさかイワナ釣りのために真夜中に運転するとは思わなかった。北陸自動車道の交通量は非常に少なく、時折大型トラックにあおられたり、ハイビームの車(トヨタ・カルディナ)にイライラしたりはしたが、ほぼ120q/h平均の快適なクルージングであった。午前1時頃、富山県・立山インター到着。明日の朝食と昼食、そして今夜のビールを買い込むためコンビニエンスストアーを探す。
立山インターから有峰口までの道路は、非常に寂しく町の明かりもほとんどない。こんな田舎にコンビニがあるのか不安になりながら車を走らせるが、しばらく走ったところでローソンの看板を発見。無事に食糧とビールを調達することができた。有峰口から登山口のある折立までは有料道路となっている。山間部を通るため危険が伴うからか、夜間は通行止めとなっている。ゲートは午前6時にオープンするため、それまでの時間、車の中で仮眠をとる事にした。

7月19日(水)

午前5時過ぎ、目が覚めると既に魚留さんと釣吉さんがザックの中身を整理していた。駐車場のアスファルトにビニルシートを敷き、最終確認をしているようだ。私も眠い目を擦りながら、車の外に出てザックの中身を点検し始める。すかさず魚留さんが近寄って来て私の持ち物をチェックしにかかった。「これは要らない。これも、これも、これも…。」瞬く間にマグライトや予備のフロータント、食器、リールケース、イマージャンシーキット等が車の中で待機となった。おかげで随分軽くなったけど…。昨夜ローソンで買っておいたパンと缶コーヒーを、まだ目覚めきっていない胃袋に流し込み、いざ出発。折立までの林道はこれでも有料道路かと疑いたくなるほど荒れており、夜間通行止めとなるのが分かる気がした。折立の登山道近くにあるトイレは最近整備されたのか非常に綺麗でトイレットペーパーも完備してある。
登山途中に脇道にそれて国立公園を汚すことのないよう、時間をかけて搾り出した。午前7時10分、予定より約1時間早く折立登山道を出発。登山道入り口で、腕時計の高度計は1300mを指していた。これから太郎平まで約6キロ、標高差約1,000mの登りだ。なにしろ約15sもの荷物を担いでの本格的な登山は今回が初めて。先が思いやられる。先頭が魚留さん、次が私、最後が釣吉さんの順で、かなりゆっくりとしたペースで登り始める。登り始めて約30分、胃が締めつけられるように苦しくなり、1回目の休息。こんなんで登りきれるのかと不安になる。水を補給し、休んでいると後から登ってきたおじさんに“お早い休憩ですね”と皮肉られてしまった。休憩後、胃の苦しみは不思議となくなった。魚留さんは全く疲れを感じないのか、軽快に登って行く。釣吉さんも2本のスティックを巧みに使って軽やかに足を運んでいる。私も約1ヶ月半の走り込みの成果が出てきたようで軽快そのもの。
30分毎に休憩をとりながら着実に太郎平に近づいて行った。突然、樹林帯の中に“アラレちゃん”と“ドラみちゃん”の看板が現れた。大きさは縦1m横80cm程度、かなり大きい。一体誰がこんな所に運んだのだろう。釣吉さんの話では、“アラレちゃん”までの登りがきついということなので、やれやれ峠はこしたかと少しほっとする。もうしばらく行くと“ドラえもん”の看板も現れ我々を励ましてくれた。つい、“どこでもドア”で頂上まで連れてって欲しい…と思ってしまった。(^^;
登山地図を見ると、1,870m地点に三角点の表示がある。腕時計の標高は既にその高度を超えている。まだ三角点に着かないのかと思っていると、ようやく最初の目標地点である三角点に到着。今回初めての記念撮影会を行なった。これからはなだらかな登りとなるはずで、“先は見えた”と早合点してしまった。三角点を過ぎたあたりから、振り返ると登山口近くの有峰湖が見え始める。結構登ったものだと感心しているが、ここからが長かった。眼前にひろがる延々と続く登山道と眼下に広がる有峰湖は、長い間その位置関係を変えず、登っても登っても太郎平は見えてこなかった。気が付くと植物の植生が変わってきていた。いわゆる「森林限界」を超えたそうで、樹林帯はなくなり、ハイ松や高山植物が見られるようになってきた。登山道の周りには、オレンジ色の百合のような花が咲いている。魚留さんによると「ニッコウキスゲ」という花だそうで、今年はまだ花の咲くのが遅れているそうだ。その他「コバイケイソウ」や「イワイチョウ」とかいう高山植物の名前が出てきたが、今となっては名前と花が一致しなくなってしまった。
標高2,000m。今年はミレニアムということで、ここでも記念撮影。足取りは更に軽やかになる。登山道は1m1.5四方の木枠の中に10〜15cm大の石を敷き詰めた歩道に変わった。この歩道は、周りの高山植物を登山者から守るためには重要な役目を果たしているようだが、歩く方にとってはなんとなくリズムが狂い歩きにくい。踵から先に足を下ろすようにするとうまくいくような気がした。この歩道を歩き始めるころ、左前方には2,926mの薬師岳がその全貌を現してくる。左手後方には立山・弥陀ケ原が見えている。魚留さんにとっては大学時代の冬山登山で思い出深い場所とのことであった。
歩き始めて約3時間30分、登りの終点である太郎平小屋に到着。標高2,372mの太郎山を少し下ったところにあるこの山小屋の周辺は登山客でかなり賑わっていた。この小屋から見る風景はまさに北アルプスそのもの。吹きつける風も冷たく、雲が急いで流れて行く。近くには雪渓も多く、眼下にはこれから目指す黒部川源流が緑濃く神秘的に広がっていた。ここで約30分の大休息。コンビニで買ったおにぎりで昼食を摂り、記念撮影の後いよいよ黒部川支流・薬師沢へ歩き出した。歩き出すとすぐ、登山道が雪渓に覆われている個所が現れた。南国育ちの3名にとって雪は珍しく(私だけ?)、またしても記念撮影。魚留さんからは雪渓の歩き方を教わった。

つづく





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